今年度から新規開講した「百人一首で、京都を歩く」は、早くも受講者の方々から「この場所に立ってみないと分からないことがあるんですね。ここにこんな通りがあって、こんな石碑があって……歴史上のあの人がここに生きたことにドキドキします」と声が上がる人気講座です。

 河田久章(京都百人一首かるた研究会代表)さんを責任講師として、二回目(5/9)の今月は「京都御苑周辺の百人一首ゆかり」をテーマに歩きます。今回は「悲劇の歌人」として名高い崇徳天皇、菅原道真、三条天皇ゆかりの地を中心に歩きました。
今回の旅の始まりは、白峯神宮(写真)。崇徳天皇ゆかりの、蹴鞠・サッカーの神様として有名な神社です。受講者は禰宜(神職)の方に、白峯神宮設立の由来、含笑花(トウオガタマ)や藤の花を植えている由縁、蹴鞠と清水寺の舞台の関係など興味深いお話を聞かせて頂きながら、崇徳院の苦悩に思いを寄せました。
続いて、小町草紙洗水碑へ。小野小町の別宅があったとされる場所で、今でも良い水の湧く井戸がいくつも現役だそうです。小町通の小さな石碑があり、近くには「日本一の美女」と謳われた右大将道綱母(「蜻蛉日記」の作者)の旧居址もあります。
次は、崇徳天皇が懊悩の末、譲位した地の土御門内裏跡へ。崇徳天皇は九安百首に「ゆきなやみ 岩にせかるる谷川の われても末に あわんとぞ思ふ」と心情を詠んだとされ、百人一首の原型とも推測されています。
そして、一行は菅原道真公生誕の地とされる菅原院天満宮神社で、ミネラル分たっぷりの井戸水を頂きます。今や学問の神様となった菅原道真公でしたが、かつては陰謀による左遷により都に祟りをもたらしたと恐れられるほどに悲劇的な境遇を味わった高官でした。
最後に、五月の緑あふれる京都御苑内の西園寺邸跡辺りの白雲神社、枇杷殿跡へ。枇杷殿は三条天皇が藤原道長に譲位を強要された場所です。
こうして歩いてみると、京都御苑周辺には、かつて栄華を極めそして悲劇に巻き込まれていった人々の人生が息づいていることが感じられます。

「山科の歴史・魅力探訪」講座は、欠席者が少なく、参加率が非常に高い講座です。 第2回目(5/2)のガイドは地元「ふるさとの会」の浅井定雄さんと林伸行さんが講師で、解説がよく聞こえるように2班に分けて実施されます。

「ふるさとの会」歴史部会の詳細な資料を作成していただき、スタッフの方が10名ほど付いていただけるので安全面でも質問するにも気軽に聞けてありがたいです。
5月2日の第2回講座では、出発地の地下鉄御陵駅から、まずかつて東海道が通っていた場所に行きました。山科と東海道は結び付いていなかったのですが、一里塚があった場所も見ることができました。その後、華山寺で大きなケヤキの木を見てから、僧正偏昭が創建した元慶寺に向かいました。元慶寺は花山天皇の出家の舞台となったお寺で、竜宮作りの門は立派で見ごたえがあり、境内のツツジやオオデマリも満開でした。講師の方からは、山科の水路や国鉄建設時の話も詳しく聞けました。実際に、その場所に立ってその跡を見ながら解説を聞くので、歴史と地理と現在のつながりが実感できる気がします。歴史と自然に触れられるとっても魅力的な講座です。
今回は前回より短い距離を歩きましたが、史跡面では、はじめて知ったことが多く参加者も満足感が高い講座との声も聞こえていました。次回の山科本願寺と蓮如ゆかりの地訪問も楽しみです。